“目覚めた”頃の話

 アタシがライターのような仕事をやりたいと思い始めたのは、いつ頃からだったろうか? 少なくとも、高校生の頃には「企画を考えて文を書き、相手を楽しませる」ことが大好きだったと思う。

 アタシは高校二年の時に広報委員会の委員長をやっていて、毎月1回学校新聞を発行していた。新聞といっても、「ガリ版」といって薄くロウが塗られた台紙に針先のようなペンで文字などを書き、インクを塗ったローラーに貼り付けてグルグル手で回しながらわら半紙に転写する粗末なもので、毎回手を黒くしながら何百枚も刷っては仕分けやホッチキスどめ、各教室への配布などを行っていた。

 通常、そういうものは学校行事の報告とかツマラナイ内容に終始しがちなんだけど、アタシは委員長つまり自分がやりたいようにできるということを最大限生かして、当時好きだった野球のコーナーとか勝手に作って記事を書いていた。そんな中、確か「月刊ジャイアンツ」という雑誌に「選手全員に、毎回同じ一つの質問をして回答を表にして見せる」コーナーがあって、それを楽しみにしてたアタシは「コレだぁぁーーーーーッ」と、ひらめいた。

 そして、まぁそれをパクったような企画で「職員室レポート」という、先生全員に毎回「好きなTV番組は?」などとアンケートをとって、表を作って文を添え掲載するコーナーを始めた。すると、友達連中が新聞を配るとまずそこから読み始めたり、手書きならではのミス…例えば、一人載せ忘れたりすると、その先生がアタシのところに「今回載ってないんだけど…」みたいなクレームを言って来るの。それを聞いた時、謝りつつも心の中で手応えというかカタルシスのような快感を覚えて、冒頭のような「企画で楽しませる」ということが自分に合っているのではないか…と、ハッキリ思い始めたんだと思う。

 大学の頃は学生スポーツ新聞を作るサークルに入って、取材や広告集めに夢中で取り組んだ(パチンコのかたわら・笑)。特に広告は大事だから色んなお店やOB関連の企業など、いくつアポをとったか覚えてないくらい。でもけっこう新規も取れたりしたせいか、いつしか広告部長みたいな立場になって、下級生向けに手書きでコツなどを書いた小冊子を作ったりしていた。あれは、もうないだろうねぇ…。

 それはともかく、面白いコトを考え能動的に動いてカタチにして行く…という心構えみたいなものは、高校〜大学にかけてシッカリと自分の中に根付いていったと思う。就職も当然のようにマスコミ(新聞社)を考えてたし、就職試験のために文章の書き方や一般教養的なものを習ったりしてて、後から考えればそれもすごく役に立った。

 そんな生い立ちを経つつ、「パチンコ好き」&「企画や文章で楽しませる」という2つがドッキングして、パチンコライターとしてのアタシが生まれた、って感じだろうか。とはいえ、初のパチンコ専門誌(パチンコマル秘情報という雑誌)が誕生したのは大学生の頃だったけど、まだそういう媒体で何か書く…なんてことは、思いもしなかった。

 やっぱりアタシの転機は、OLになって「パチンコ必勝ガイド」に衝撃を受けてからだと思う。実を言うと編集部に出入りするまで、末井昭という人を全然知らなかった。まぁ、女なので「写真時代」なんて読まないっつーか、存在自体も知らなかったしね(そこは勘弁して下さい・笑)。だから、編集部でひょうひょうとした感じで仕事をしているオジさんが、とんでもない人だと分かったのも、ある意味衝撃だったな…。

 その辺りから、ボンヤリと「パチンコに関することを書いて暮らして行けたらいいなー」なんて思ってた願望が、何とか形になっていった。ライターって派手だと思われるかもしれないけど、基本は「企画を考え、文を書いて楽しませ、1ページ(企画)いくら…という報酬を積み重ねて行く」地味な仕事のハズ。そしてそこから外れた人は、アタシが知る限りライター(自称、じゃないよ)として一人も残ってない、そんな厳しい仕事でもあると思ってます。
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